三重臨床心理カウンセラー/恋愛依存症専門カウンセリング

依存症から自分の人生を取り戻すために

頭では分かっていても彼を手放せない

おはようございます。



このブログは、主に恋愛依存症でお悩みの方に書いています。


(あなたに合うものを参考にして、合わない内容はここに置いていってくださいね)





カウンセリングが進んでいくときに、たびたびお聞きする思いとして


『彼と付き合いを続けても自分が苦しいだけだと分かってる、

そもそも私も好きという気持ちが薄れてる、

なのに離れようとすると怖くて不安になるから縁を切れない』



『毎日たくさんLINEを送ったり、返事がすぐにないと見捨てられたと感じて絶望的になる

でもそんな自分の感じ方は極端でおかしいとも思ってる』



というような『葛藤』があります。



人にはそれぞれ、生まれ持った気質と育つ環境との相互作用によって作られた『心のルール』のようなものがあると心理学では言われていますが


これはたとえば、赤信号ではブレーキを踏む、青信号は渡る、というようなレベルのことで

その人にとってはあまりにも『当然のルール』として機能し続けているものです





頭では分かっているのに

(彼とこんな付き合いをしていても苦しいだけだという仕組み『ルール』)は分かるのに


彼を手放せない(でもずっとこの仕組み『ルール』に則って生きてきた)


だから、怖くて不安でたまらなくなる、という流れです



ここから少し説明をしたいと思いますが、分かりにくかったらごめんなさい


たとえば、

幼少期にしょっちゅう親から口出しされていた

自分のすることは何かと否定されてきていたな…

という思いのある人は



『私はダメ人間なんだ』という仕組みを作り出します

ここでさらに、

もともと控えめなおとなしい気質を生まれながらにもっているタイプだとすると

(控えめでおとなしい気質が悪いわけではないことを強調しておきたいと思います)


あくまでも例ですが、


なるべく迷惑をかけないようにしよう、

自然に生きていたらダメ人間だと言われてしまうから、気を抜いてはいけない


という『ルール』を心に刻みます


子どもにとっては、それが精いっぱいの生きる術になり、当たり前のこととして機能させようと維持します

この維持によって、心のルールは強化され

その後はまるで空気のように当たり前のものとして、

そのまま大人になっていきます


しかし、幼少期には適応されていたそのルールが通用しなくなる場面が増えていきます



子どものときよりずっと広くなった社会で、

なるべく迷惑をかけないように生きよう、

自分が少しでも感じた違和感を、言わないようにしよう、

気を抜いていたら何を言われるか分からない、というルールで生きるには限界が生じてしまいます



周りの人と自分との大きなギャップを感じ、何か私はおかしい気がする…と思いつつも、

奥底にあるそのルールに気づくまでには至らず



たまたま優しくしてくれた『彼』に

愛を感じたというよりは『救い』に似た思いを感じ、恋愛がスタートする


でも、

過去のルールに則った関わり方しかわからないがゆえの、

その『彼』を選んでいる可能性が高かったり、

また、彼のほうに特に問題がなかったとしても、

最終的にあなたが辛くなってしまうような、

まるで利用されて捨てられるようなシナリオを、

つまり

幼少期に味わったものを再現するかのような脚本を演じてしまう




頭では分かっているのに、なんとも言えない苦しみで別れることができない、諦められない、人にしがみついてしまう背景には


こうした深いところでの、ある意味では一貫性が働き続けているところがあります。


これは、あなたが悪いという話しではありません。

生まれもっての依存症者などいません。


右利きの人に、

今日から左手で右利きと同じように、

上手に完璧にお箸を持ち、歯を磨き、字を書きなさいと言われても無理ですよね


あまりにも長いこと、その世界が当然だと感じ生きてきたものは誰でも簡単には変えられません



だから頭でわかっていても、手放すことができないのは当たり前なのです


依存症から立ち直れますか?変われますか?

と、よく聞かれますが、答えはYESです

実際に回復している方を見ています。

ただ、この内容でどこまで伝わるか心もとないのですが、

決して簡単ではないことも、事実です




これは回復期によくあることなのですが、リタイヤしてしまう方もいらっしゃいます。



昨日ブログでお伝えした、セミナー向けの参考図書で

ジェンダー心理学者の伊東明氏の著書にも、そのことは書いてあります



『リバウンドに負けないこと

恋愛依存症からの回復へのステップを経るごとに、あなたはどんどん変化していく。

心理も行動もより健康的な方向へと向かっていく。

自分でも、漠然とかもしれないが、何かよい方向に向かっていると実感することができる。

すると突然、以前の状態へと逆戻りさせるような力が自分の中で働くことがある。

回復した分の波がやってくるのである』

伊東明2000     p306)



これが恋愛『依存症』と名のつくものの苦しいところですが、

あなたが変わりたいと本気で思う限り、変わります


千里の道も一歩からです


コツコツと、でも着実にステップを踏んでいきましょう





恋愛依存症でまず最初に必要なこと

こんばんは。


このブログは、主に恋愛依存症でお悩みの方に書いています。


(あなたに合うものを参考にして、合わないものはここに置いていってくださいね)




『彼に求めなくても落ち着いて暮らせる私になりたい』

『彼とデートのときは、ただ楽しめて、一人のときは一人の時間を満喫できるようになりたい』


彼に求めたい思いがありつつも、境界が引けるようになりたい、

依存をなくしたいという気持ちをうかがいます。

そして

感情をどうにかする方法を知りたい、どうしたらいいのか?

という気持ちを聞きます。






ところで、



アルコール依存症、薬物依存症などは、それがなくなると禁断症状が出ます

やればやるほど苦しくなるのに、それ無しではいられない苦痛が襲う


しかしそもそも、なぜわたし達は依存症になるのでしょうか


よくある原因として、

元々あった根本の苦しみを必死に避けようとして、

お酒や薬物、恋愛、食べ物、買い物等で蹴散らそうとし、

結果的に、恋愛依存で苦しい…何とか彼にハマる自分を変えたい!


という流れが起こっている方を多く見ています




根本にある苦しみを避けるための努力が、さらに苦しみを大きくするのです

自分を受け容れよう、

これは心理学ではよく言われることですが、

意味が分からない、感覚が分からないという声も多く聞きます。

そうですよね、それが分かれば…

実は相当難しいです、自分を受け容れるというのは…

一生をかけるほど難しい






受け容れるとは体感するもので、

頭で分かってくるというより

感覚的に気づいていく、というほうがピッタリなものですが


強いて無理やり言葉で説明するとすれば、


悲しかったこと、苦しいことを避けようとしたり

コントロールしようとしたり、

なかったことにしたり、うやむやにするのではなく、


あなたの心の中に置いといてあげる、

その感情があることを、許可してあげる、です




長くて申し訳ないのですが、もう少し一緒に考えてもらってもいいですか?




あなたの目の前に足から血を流して、

痛いよ…と泣いてる女の子がいるとします

あなたのカバンの中には消毒液と綺麗なハンカチがあります

それでケアをすれば、その子の傷は完全に癒えないまでも、消毒は施せます

そしたらやってあげたいと思いませんか?

少なくとも、その泣いてる女の子に向かって



『泣くな、くそガキが!』


とは、言いませんよね?

何もしたくないとしても、怒鳴り散らしたり、

あっちに行けと言ったりしませんよね?

心配になりますよね


あなたの辛い感情も、そうやって見て欲しがっているんです

無視しないで、コントロールしようなんてしないで


ただ、悲しみを悲しんでほしい、腹の立つことを、避けないで感じてほしがっています

でも依存症の方は、それが怖いし、なんかイライラもするし、訳が分からない!となりやすいです




けれども、あなたのなかのもう一人のあなたは何度でもシチュエーションを変えて、似たような辛いことを繰り返します

よほどの大事件、よほどの変わりたい願望があってもまだ抜け出せない、それがそもそもの依存の定義です

これは多くの臨床研究を続けている海外の専門家が

口を揃えて伝えていることでもあります



したがって


感情のコントロール戦略は一時的にはうまくいっても、

後で倍の苦しみとなって舞い戻ってきます

薬物もそうですよね?

これでやめる!と心で決めてコントロールしているつもりが、また求めてしまう

意志の力では限界がある



依存症系の自助グループで踏む最初のステップは、

『あなたは依存症に対して無力であることを認めなさい』とあります、それは

コントロールをやめないと回復の一歩は踏み出せないよ、と言っているのです

恋愛依存も、全く同じです

求めないようになろう、というのは、そこにまだコントロールが働いている状態なのです



だからまず受け容れること、心に静けさを少しでも与えること


人は静かになると知恵が動き始めます、気づきが生まれるようになっています


でも、それが自分でできないほど、心も頭も大騒動を起こしている

そこでカウンセラーが松葉杖のようにサポートをし、

徐々に受け容れることや静けさを取り戻せるようにしていきます

少しずつ、 受け容れる練習や、刺激から離れても落ち着いていられる練習を重ねていくところから始めるしかないのです

私としてもすぐに楽になれるなら、そうしたい

でもどうしても時間がかかる


できるところから少しずつ進むしかない




恋愛依存症の殆どの方は、

すぐには受け入れられない心の痛みを負っていることが多いです


これ以上、戦略を重ねても傷に塩を塗るだけです




セミナーや自己啓発本を読んでも変われない理由の一つは、

人間としてもっと根本的なものをすっ飛ばしテクニックや理屈に頼り過ぎているからです


それはまるでロボットになれというのと同じです





今まであなたは何度となく、たくさんの努力を重ねてきたはずです

でも痛みは日々増すばかりで、消えなかったと思います

これ以上まだ、彼だったり、自分の心をコントロールすることにエネルギーを使うのは、あまりに残酷です


いったいいつ、自分に優しくなる暇があるんでしょうか

そんなにあなたは悪いことをしたんでしょうか

どうして痛みをなかったことにして、生きていかなきゃいけないんでしょうか

そんなに自分を傷つけて、誰があなたを大切にできるでしょう?

気づいてください

もう、限界なはずなのです





あなたはあなたを大切にする、ということを学ばなければなりません

意味がわからないのなら、なおのこと学ばなければなりません




そうでなければ、また誰かに認めてもらうために

他者に求めて外にさまようしか、方法がなくなってしまいます。


何度もくどいのですが、あなたの心はあなたにこそ受け容れてほしがっています


そこを軽んじてはいけません

自分をそうやって、自分で大切にしていくリハビリ期間は必須です




まずは今の気持ちを受け容れることから始めつつ、徐々に整理していき

その土台の元に、方法、対策を取っていく

つまりもう一度、生き直すような作業です






長くなりましたが、ゆっくり回復へのステップを踏みましょう


変わりたいとあなたが思った分だけ、変われます



依存と自立と境界線

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こんばんは。

このブログは、主に恋愛依存症でお悩みの方に書いています。


心理カウンセラーの在り方について

私自身、何度も振り返ります。


恋愛依存症に限っていえば、やはり一番の目的は


『健全な自立』になります。



けれども、人間関係での傷つき体験と向き合う上で、


カウンセラーに対する依存が強まることは、避けて通れないとも感じています。


自分の意志だけで乗り越えられないのが、依存症です。


分かってほしかった痛みや苦しみを、

誰かが健全に受け皿のような存在として、引き受ける部分がなければ


立ち直ることは、とても厳しくなります。


なぜかといえば、私たちは弱い人間だからです。


愛ある神とは違うからです。

承認欲求は、人間の三大欲求と同じレベルで強いものです。


そこの部分が傷つけば、ケアが必要なのは当たり前のことなのです




ケアが行われれば、再び立ち上がって、前に進むのも

人間として自然なことです。





カウンセラーのすることは、痛みや苦しみを受け止めることと、

クライエントさんの望む方向を確認しながら、

行動してもらうことです


道端にでっかい石があるときに、どうやってその先へ行こうか?と

カウンセラー1人が考えるのではなく、

クライエントさんもともに考える、共同作業です



完全にカウンセラーに寄りかかるわけじゃない、でも


少しの支えで、あなた自身に石を飛び越えてもらうこと

そうでなければ、筋トレと同じで


あなたの心の筋肉は発達しないまま


誰かが居ないと、自分の人生を自分で歩いていくことができなくなります




いいじゃないか、私は助けてもらえればそれでいいんだ


って、ほんとですか?



自立と依存の境界線が、見えるでしょうか


こうやって本来、人と人は助け合って生きています


依存ばかりに偏っても苦しいですが、


自立ばかりを目指しても孤独になります

だから自立ばかりを叫ぶ人は、冷たいだけの人という印象をもたれがちです





あなたの意志だけで恋愛依存症を克服することは、

とても厳しいと私は思います。

だから助けは必要です。


それと同時に、

あなたが助けを求め、

これを乗り越えるんだという行動は

あなたにしか、できないことです。

恋愛依存をやめたい

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こんにちは。

このブログは、主に恋愛依存症でお悩みの方に書いています。


カウンセリングを受けてまで、何とかしたいと思う人は


『依存することなく、愛されるにはどうすればいいですか?』

『どうしたら彼氏に依存しない恋愛ができますか?』

『依存が治ったひとはどうやったんですか?』

『恋愛だけが全てじゃない!と、どうしたら思えますか?』



という質問を、されることがあります。


これは全くまともな質問で、自分がよく見えている人でないと、こうした問いは出てきません。


私のカウンセリングでは、時々イメージをしてもらっています。



もし彼のことを放ったらかしにできたら、あなたの日々はどう変化していますか。

何をやっていますか、たとえば友人とはどんな会話をしていそうですか。

部屋の雰囲気は?あなたの服装は?

周りへの接し方に変化は起きていそうですか?

彼があなたに夢中で毎日連絡をしてくれるとしたら、そのときのあなたはどんな人物であるでしょうか?


どんな表情が多くなりそうですか?

全てが満たされているとして、何にお金や時間を使っていますか?






などなど、1日の暮らしがどう変わるのかを答えてもらいます。


そして、その中から今できそうなことを、実際にやってもらいます。それで何か変化が起こらなかったか、あるいは変化がなかったか、聞かせてもらい今後にまた繋げていきます。

その人にとってほんとうに大切にしたいものが、こうして見えてくることがあります。


恋愛に依存してしまうと困っている方の中には、

とにかく寂しくてたまらない、という気持ちを吐露されることも少なくありません。

その背景には、自分に価値がないというような思いを強めていることがあり、そこを補ってくれる人を求めていることもあるようです。

また、親に理想の愛をもらえなかったということで、その思いに留まり続け、誰でもいいから満たして欲しいということもあります。

それが満たされないと、暴言を吐いてしまったり、愛しているはずなのに彼の不幸を願ってしまったりして、罪悪感を強めてしまうという話しも聞きます。





これは誰にでも起こりうることで、おかしいことでもなんでもない、ということをカウンセリングで強調することがあります。

人の幸せを100%願える人というのは実際のところ、悟りを開いたような人しか不可能です。

基本的に人は、自分が一番可愛いものです。それが自然です。
これを理性の部分で恥ずかしいこと、愚かなことだと認識し、認めたくない人、他人に厳しい人は自覚が薄くなります。

なので、自分のドロドロとした感情を自覚している時点で、弱さを知る強い人であるし、同時に結局のところ善人であると私は感じています。


でも、これらの感情を知ってしまった以上、気づいていない人と同じように、深く考えずに生きていくことは難しくなります。

うまく折り合いをつけられなくなるのです。そして白か黒かという思考にハマってしまいます。






せっかく向き合おうという意志があるのです、

とにかく少しでもいいから、これまでとは違う動きを身につけてもらいたいと考えています。


依存をなくすにはどうすればよいのか、という思いから


自分の人生で大切にしたいこと、生きている証のようなものを見つけていく、それに沿った生き方を創っていく、こちらに着手し、


依存心があったとしても、そんなに脅威ではないことを体感してもらうことのほうが早いこともあります。

結果として、他人の幸せも表面的ではなく、心から喜べるようになったりします。


恋愛に限らず、人は本能レベルで、人から認められたい、食べ物で満足したい、物質を手に入れて喜びたいというものをもっています。

だから欲求を消そうとするのは、相当なエネルギーを注ぐことになり、大変疲れます。

綱引きで、か弱い女性が、マッチョな男に勝とうと猛烈に引っ張ってるのを想像してください。感情をどうにかしようとするのは、たとえばそんな感じです。


だから無気力になるのも当然のことです。陰でかなりの力を使っているからです。

ちなみに綱引きで手離すとは、どういうことか分かりますね。


もちろん、欲求を満たそうとするのも我慢を続けるのも、コントロールに繋がりしんどいです。


本来望んでいるものに目を向ける、

カウンセリングではそれが何であるのか、一緒に探すことを全力で取り組んでいきます。





追伸:ある20代の女性が、夜は100通に及ぶメール、30回に及ぶ電話を彼に度々行い、嫌われることを恐れて何とかしたいと思っていました。

2年に渡って自分と向き合うなか、少しずつ心が安定し、趣味を持つようになりました。それは下手で才能がないと思い諦めていた、サックスの教室に通うことでした。
そこで少なからず友だちができたようです。
また、演奏会に出る機会があり、練習をするという生活での新たな目標ができました。

するとそこから、前のような行動が減りました。

今でもたまに喧嘩をすることはあるようですが、少し時間を置けば落ち着くことができるということも理解でき、今も仲良くお付き合いできているようです。


彼女いわく、依存はなくなっていないけれど、むしろ認めることで、どう行動すれば自分が落ち着くかを考えることができる、ということと、

音楽で人に喜びを与えることに、意義を見出したことが、自分の弱さを支えている、とのこと。


立場も逆転し、今は彼が追う側に回ったようですが、これは今のの目的とは少し違うため(2年前の彼女なら喜んだでしょうが)ちょっとしたご褒美というか、副産物的なものですね。